2011年11月10日木曜日

さようなら、わたしのドヤ

6日は ぜんぶおわって ヨコトリもおわって 笑ってしゃべって呑んでセンター帰ってまた呑んで ひさしぶりにぐっすりと寝て 次の日サッコと 遊んで
最後にたくさんおはなしをして ふたりで ドヤで感動でゆうきりんりん
あの 大きな一枚の 積み重ねの絵は わたしより先に ドヤを出た もらわれていった
ドヤより広いところに 放たれた エネルギーが 流れ出した 

絵のないドヤはぽっかり 穴があいたみたいで 急に部屋が広くなったみたいで そわそわする
さみしい でも すっきりしてもいる
そんな部屋で 最後の夜をすごす 7日
すっかり包まれているドヤは ほんとうにおちつく 人の気配も 咳も 足音も 外でおじさんが空き缶をつぶす音も 車も バイクも 明けていく空も 救急車も ぜんぶ 調和している ハーモニーが ある ハーモニーに 成る!

朝 はやめにおきて 掃除をする 荷物をまとめて 残るのは ドヤツイッター
もう一度 全部を読み返す もう自分の中ですっかりクリアーしているつぶやきを はがしていく もらった言葉も 優しくはがしていく
そうするうちに 気になるつぶやきだけが 残った
それをもう一度 広くなった部屋ごと 眺める
たくさんのもんもんとしたエネルギーが ドヤの外に放たれた
絵となって 伝わる言葉となって 出会いとなって 放たれた
その残りもの のようなもの
あるいは これからの 言葉
それが残った
まだいたい けど さあ、いくぞ どんどんいくぞ ありがとう 









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